頑張れ!父さん母さん!-経済基盤-

地域活性
こんにちは 北の熱い講師 オッケーです! ブログを書いていて大切なことを忘れていました。 これを書かずに、オッケーの存在はありません!

中小企業が‟日本経済の基盤”

”父さん母さん商売”一般的には”中小企業”というのでしょうが、 オッケー的には‟商売の原点”であると断言したいのです。 書き始めなので、一応、定義から入りましょう。 日本経済新聞からの抜粋です。

中小企業とは

中小企業基本法で定義づけられます。 業種によって異なり、製造業は資本金3億円以下または従業員300人以下、 サービス業は資本金5千万円以下または従業員100人以下など。 小規模事業者は製造業の場合、従業員20人以下の企業をさす。 企業全体のうち中小企業が圧倒的な割合を占めるのが日本の産業構造の特徴です。 2016年の経済センサス活動調査によると、 個人事業主を含む中小企業は企業数で全体の99.7%、 350万件とも言われております。 従業員数で68.8%を占める。 中小企業の経営状況の悪化は日本経済に直結する。 新型コロナウイルス感染拡大による影響への中小企業向けの対策の柱は (1)金融機関による無利子・無担保融資などの資金繰り支援 (2)最大200万円の持続化給付金 の2つです。 これに新しい官民ファンドによる資本注入策を加え、 3本柱で中小企業の経営改善を支援する。 とあります。

‟99.7%”の原動力

私的発言で恐縮ですが、 オッケーが運良く?ホンのひとつまみの数の上場一部企業によく入社出来たな!と。 オッケーの身体の一部分に、そのプライドが存在しているのは確かです。 なんだかんだの日本経済を作り上げて来たのは、 ”小さなお店”であることは歴史上の事実です。 特に、昭和40年代の‟戦後の高度成長期”の伸びは、根底には、 昼夜を惜しんで、働き続ける父さん母さんの存在があります。

競争地位戦略的にはニッチャーです

マーケティング理論で見ると、独自性を考えなければならない位置づけです。 分析の鉄板をご紹介します-競争地位戦略- 解り易く、商業、特に小売業を例で、時系列で見てみましょう。 オッケー流の説明になりますが、、(田舎がまさにそうでした!)

その時代は、競争地位戦略的リーダーです

昭和20年終戦後、父さん母さん商売の家の長男が戦地から帰省し、 店舗に活気が戻ります。当然、世の中好景気で業績が急伸します。 人口1~2万人の街も、商店街は大賑わい、資本力のある店舗は、 鉄骨3階建ての店舗になって行きます。俗に言う”銀座通り”が、 全国に出来ます。電気屋さん・洋服屋さん・魚屋さん等々が 集まり、”アーケ―ド街”となります。

競争地位戦略的チャレンジャーだったかもしれません

地元の有力者が”スーパー”(総合小売り店舗)を作り出します。 そこからが、暗黒の時代の始まりです。 客が、少しづつ減って行きます。3代目は地方大都市に出店します。 更に、世の中は”少子高齢化”のグラフの兆候が出現します。 過疎化の始まりです。 まだこの時代は、小売店も頑張って対抗していました。

ニッチャーで生きて行く

”銀座通り”が”シャッター通り”に、急激な過疎化が進んでいきます。 ”負のスパイラル”が現れ、客がいなくなり、品揃えも少なくなって、 売上が取れなくなって行き、3代目は廃業していきます。 辛うじて、”技”を売りにしている店舗だけが、残り頑張っています。 いかがでしょうか。 もう一つ、戦略があります。

フォロワーは可能性を秘めています

チャレンジャーのようにリーダーを目指すこともなく、 ニッチャーのように特定領域に集中することもない立場の企業です 経営資源の量・質やシェアがチャレンジャーよりも低くて、 残念ながら、ニッチャーのように際立った独自性もないのが特徴です。 徹底して模倣することで、経営プロセスを合理化し、 生産コストを抑える戦略が効果的です。

‟技”か‟模倣”の二択

コロナ禍で、一気に進んだのが、通信販売系です。 中小企業にとっては、カテゴリーキラーが、さらに増えました。 しかしながら、

‟ピンチをチャンスに変える”発想を絞り出す

まずは、この前向きな考え方を持つことが必須です。

今日を大切に明るく元気に行きましょう!

お仕事お疲れ様です。

いってらっしゃい!






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