こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
前編で、書き足りなかったので、追記します!笑☟
【レナウン復活】「ダーバン」「アランドロン」がつながります!
「アランドロン」知ってますか?
高度経済成長を経て国際化の機運が高まった1960〜70年代のことです。
日本にアイビールックを流行させた「VANジャケット」に代わり、新たなメンズスタイルのお手本となったのが、「アラン・ドロン」でした。
「ダーバン、それは現代を支える男のエレガンス」。
フランス語のつぶやきで締められるCMが、繰り返しテレビで流れた70年代。
既製服のスーツが普及する時代に、勢いづいていたレナウンの「ダーバン(D’URBAN)」の広告キャラクターとなったアラン・ドロンは、都会的な国際派スーツを着こなす理想像として日本のスーツスタイルに絶大な影響を与えました。
当時のビジネスマンの「憧れのスーツ」かもしれません。
タキシードに白いマフラーをあしらう着こなしのイメージはいまだ根強いかもしれませんね。
彼は「エレガントな」スーツの代名詞になったばかりではありません。
ある種の「ドレスコード」と言ってもいいかもしれません。
トレンチコートのベルトのあしらい方、帽子をかぶる角度、シャツを素肌に着るときのボタンの開け具合やアクセサリーの見せ方はじめ、あらゆる男性服の着こなしのお手本として繰り返しその姿が引用されています。
「サムライ」でのチェスターコートに白手袋という暗殺者スタイルは、後のマイケル・ジャクソンの白手袋にも受け継がれています。
アランドロンは、時計、香水、サングラスなどでビジネスも展開した。その神通力は21世紀に入っても衰えず、「クリスチャン・ディオール(CHRISTIAN DIOR)」は2009年と15年に香水「オーソバージュ」のキャンペーンで、彼が出演した映画の映像を使っています。
「二枚目俳優」の「代名詞」であった「男臭さ」を強烈に放った世界的男優であったのは間違いのない意見と思います。
「野沢那智」知ってますか?
声優・ラジオパーソナリティー・演出家であった方です。
1969年頃、アラン・ドロンの吹き替えを初めて担当します。
数人いるドロン担当声優のひとりとなる。『日曜洋画劇場』で主にアラン・ドロンを担当していた堀勝之祐などと比べ、アラン・ドロン担当として野沢那智は比較的後発の存在だったが、やがて1970年代後半頃から、ほぼ全局で野沢那智がアラン・ドロンの吹替を担当するようになり、茶の間にも「アラン・ドロンの吹替といえば野沢那智」のイメージが浸透していきました。
さらには、1950~1960年代生まれの方々には、違った印象を持っていらっしゃる方も多いと思います。
おそらくその方は、「ラジオを聴きながらの受験勉強」した方だと思われます。
番組名は『パックインミュージック』(Puck in Music)です。
1967年7月31日から1982年7月31日まで、TBSラジオをキーステーションに、JRN系列各局で放送されていた深夜放送ラジオ番組です。
パーソナリティとして白石冬美とコンビを組み、毎週金曜日深夜、大きな好評を得て延長を重ねた末、結果的に15年間続いた看板番組です。
その後も文化放送など局を移しても2人で「那智チャコ」の愛称でラジオ番組のパーソナリティ・コンビを務めた経緯があります。
1981年1月2日(1月1日深夜)に、ニッポン放送が金曜日(木曜深夜)の『ナチ・チャコパック』と同じ時間帯で、ビートたけしを起用した『ビートたけしのオールナイトニッポン』の放送が始まり、『ナチ・チャコパック』は聴取率においても低下傾向となり、TBSラジオは1981年の年末に『パックインミュージック』全体の番組終了を決断した経緯があります。
ガチ「昭和を生きた」世代
いつも、稚拙なblogを読んでいただいている皆様の中で、
「いや~懐かしいわ~」と思いながら読んでいただいている方の比率は高そうです!笑
「アラン・ドロン」が亡くなり、「レナウン」が復活するのが、同時期に起きたのも、何かの繋がりのように感じます。
「昭和」で若く、「平成」で責任ある仕事をした方々の『ガチ』です!
今日を大切に明るく元気に行きましょう!
お仕事の方、お疲れ様です。
いってらっしゃい!