こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
「どさんこ」として、ちょっと執筆。
お時間があれば、お付き合いください。
「松山千春」ラジオ放送
2023年11月12日日曜日PM9:00からの1時間の生放送(毎週放送)
STVラジオ番組 「松山千春 ON THE RADIO」
この番組は、北海道「STVラジオ」と関東エリアのFⅯ放送「NACK5」の2局のみが生放送の番組で十数局?は1週間遅れでの放送らしいので、地域によっては「ネタバレ注意!」かな?
この番組のスタジオが「第三スタジオ」という室らしいのですが、「千春部屋」になっている?ようで壁一面にポスターの室になっています。
先日、NHKが放送した番組で、なんとSTV社屋内のスタジオが映りますよ!☟
【明石家さんま】【大泉洋】【松山千春】必見です!23.10.9放送
前置きが長かったかな?笑
その12日の放送内容についてです。
「大橋純子」追悼
松山千春が同じ北海道出身、11月9日に亡くなられた歌手の大橋純子さん(享年73歳)を悼み、多くの時間を追悼に充てました。
リスナーの一人として思うのですが、千春はよく、亡くなった方の追悼の話をするのですが、
その時には、必ず、その方の一曲をかけるのです。
が、今回は、3曲もかけたのです!
千春は、「大橋純子」を「ジュンペイ」と呼んでいたそうです。
そして、ジュンペイの経歴・思い出を語ります。
その一部を紹介します。
ジュンペイは夕張北高校を卒業して、藤女子短期大学、そっちへ進んで、そしてミュージシャン、アーティストの世界に入っていくわけだけど。藤女子短大、ま、短大だから2年だな。3年生のときに、藤女子大学、こっちは4年の方、に中島みゆきがいたんだな。
ま、短大と4年て違うけど、お互い意識していたかどうかはさすがにな、俺も聞かなかったけど。同じ北海道出身としてね、なんか大切なものを失ったなぁと思うしね。
当時、俺は19、20だから、まだまだアマチュアでな。彼女の2枚目のアルバムなんだけど、『ペイパー・ムーン』というアルバムが出て、そこから、いい曲がもうバンバン出てくるんだけど。「歌、上手いな、こいつ」ってつくづく思った。俺は、ドリカムの吉田美和が出てきた時に、「あれ、これ大橋純子じゃないか?」と思うくらい、ま、今となっては若さのほうがな勝ってしまうけどな。ジュンペイが若い頃は、吉田美和以上だったかも知れないな。
今回は、わがまま言わせていただいて、「ジュンペイ、お疲れ様でした」ということで、大橋純子の曲を聴いていただきます。
「ペイパー・ムーン 」をかけます。
やっぱりあれだよな。2007年、夕張が経済的な破綻状態になって。俺たちで、北海道出身者で夕張でコンサートやるべ(「夕張応援コンサート」)。2007年、平成19年ということなんですけど。それこそ、つい昨日のことのように思いますけどね。
なにせジュンペイは夕張出身だからな。細川たかし、安倍なつみ、で俺。4人で各々、歌を歌って、また一緒に歌を歌ったりして、「夕張、元気づけような」みたいな感じでやったこともありますけどね。そんな時も、やっぱりジュンペイは歌が一番上手かったからな。堂々と頑張って歌ってくれたわな。「たそがれマイ・ラブ」をかけます。
「シルエット・ロマンス」をかけます。
生のライブは聴くことができませんので、レコードやCD、DVDなどで偲んでいただければと思います。ジュンペイとイベントやったり、一緒に歌ったり、ほんとに歌の上手い、いい女でした。
2023.11・12 STVラジオ放送から抜粋
千春がジュンペイに言われたそうです。
「私がヒットを飛ばした時に、いつも千春が、上に居た!」と
確かに、1978年に大ヒットした「たそがれマイ・ラブ」は2位で1位が「季節の中で」です。
1982年には、「シルエット・ロマンス」が、またもや、2位。
1位は「長い夜」です。
そりゃ~~、言うよね!!
同郷のヨシミ(偉そうに!)
何故にして、書いたかと言いますと、「大橋純子」さんの出身が、「夕張」であり、
オッケーにとって、「となり街」だからです。
千春の一個下のオッケーとしては、話に共感するところが多いのですよ、、、
ちなみに、千春の父は、足寄に住む前は、オッケーの田舎に居たのですよ。
千春は、足寄生まれですが、、
「夕張」と言えば、「夕張メロン」かな?生産スタートは昭和36年です。
その年が、人口MAXだったようです。
高校が「北・南・東・工業」と4校もあったのです。
その頃が石炭産業最盛期であり、人口が11万人を超えていました。
現北海道知事の鈴木直道さんは、前職、夕張市長でした。
石原慎太郎東京都知事時代に、財政再建のために、都職員であった鈴木さんが赴任して来たのです。
千春が言う通り、確かに、「夕北」(ゆうぺい)はバスケットの強い高校でした。
(千春は、足寄高校バスケットボール部員です)
しかも、学力地区ナンバーワンの代表校です。
その当時は、国家産業として石炭を採掘している時であり、三菱・北炭などの鉱山があり、各社の背広族は優秀なサラリーマンが赴任しており、その子息が住んていたので、生活レベルが高く、頭の良い子が多く住んでいたと思われます。
事実、オッケーが勤務した会社の後輩が夕張の書店の倅だったので、聞いた話ですが、、
取り寄せ本が、鉱山・鉱学専門書だったりしたそうです。
なので、「大橋純子」さんは、藤女子短に進学する優秀な女子高生であったと思われます。
千春が、3曲もかけたミュージシャンです!
千春の言う通り、ほんとに歌の上手い、日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞者でした。
千春は、ジュンペイの話の後に、いつものように、政治の話をするのですが、、、
当日放送の締め曲は、なんと「季節の中で」をかけるのです!
ご冥福をお祈りいたします。
今日を明るく元気に行きましょう!
お仕事お疲れ様です。
いってらっしゃい!