こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
「へぇ~!そうだったんだ~!」の話です。
今から27年前の1996年の昨日10月9日水曜深夜に始まったテレビ番組の話です。
北海道の民放である北海道テレビ(HTB)制作の『水曜どうでしょう』
正確な放送時間は翌10日の0時50分からであったらしい。
ということは、“木曜日” だった!本来なら「木曜どうでしょう」が正しい?
同番組がタイトル通りの放送曜日になるのは、
1998年4月に放送時間が23時25分に繰り上がって以降のようです。
最も有名なローカル番組?「水曜どうでしょう」
番組スタートの時代の放送局は「スモール・フロンティア・ポピュラリティー」の方針だったらしい。
ローカル番組の低予算ゆえの出演者2人・スタッフ2人の最少番組ユニットはまさに「スモール」
ローカル番組なのに地元に軸を置かず、全国を旅する姿は「フロンティア」
出演者が地元タレントと地元大学生ゆえの等身大の親しみやすさは「ポピュラリティ」
大きな賭けだったかもしれない、「大衆のうけ」を狙った番組であったようです。
『水曜どうでしょう』は当初、半年間のつなぎ番組という体で始まったらしいです。
それまで同枠は、HTBの自局制作の深夜の帯番組『モザイクな夜V3』(月曜~木曜深夜)が放送されていたようです。
低俗すぎるという理由(AV女優のストリップの札幌公演に密着したり、大人のおもちゃを通販風に紹介したり… そんな番組だったそう)で突如打ち切りとなったようです。
翌年4月に新番組を立ち上げるまでの準備期間を埋める「どうでもいい」番組だったとのこと。
「どうでしょう」班の誕生
なので、前身番組から出演者やスタッフが一部居残り、水曜の深夜枠が与えられたという。
その居残った人々こそ、後に「どうでしょう班」と呼ばれることとなる4名である。
鈴井貴之(企画・出演)、大泉洋(出演)、藤村忠寿(チーフディレクター)、嬉野雅道(カメラ担当ディレクター)の4人である。
東京の番組では考えられないが、各回の企画から出演、撮影、編集、ナレーションまで全ての制作業務を、この4人で行うという。
低予算のローカル番組ゆえの宿命だったらしいです。
この番組はそんな “短命の宿命” を、むしろ楽しんでいた感がある。
番組モットーは「低予算」「低姿勢」「低カロリー」の3低。
裏を返せば、予算内に収まれば、基本何をしてもいいスタンスだったようです。
なので、オッケーの通勤道であった、HTB社屋の隣のある、普通の公園「平岸高台公園」での着ぐるみ登場となったのかも?
番組の開始にあたり、局の上層部が出した条件はただ1つ―― 「アーティストインタビュー」企画をやれ、との指示だったらしいです。
それは、プロモーションの名目でレコード会社がアシ(交通費)とマクラ(宿泊費)を出してくれるであろう打算が働いていたのでしょう。
“どうでしょう軍団”4名のプロフィール
この時点での4名のプロフィールを紹介しましょう。
鈴井貴之(企画・出演)
後に番組で “ミスター” なる愛称で呼ばれる北海道赤平市出身のローカルタレントです。
劇団を主宰したり、芸能事務所を経営する一方、在札局のテレビ・ラジオ番組の出演・企画・構成を手掛けるなどマルチに活躍。
この『水曜どうでしょう』も彼の発案だったとのこと。
後に、「TEAM NACS」の所属事務所「クリエイティブオフィスキュー」の社長となる奥様は、オッケー百貨店婦人服勤務時代のDCブランド「イグレグ」のショップ店長でしたよ!(びっくり!です)
大泉洋(出演)
札幌市豊平区にある、北海学園大学に通う現役の大学生でした。
今では、北海道内の、入学難易度の高い私立大学ナンバーワン大学です。
演劇部(TEAM NACSのメンバーともここで出会う)に所属し、その縁で前述の番組『モザイクな夜V3』に呼ばれ、突撃レポーターとして活躍していたらしいです。
そのトーク力が買われ、同番組の出演者に抜擢されたらしいです。
藤村忠寿(チーフディレクター)
チーフディレクター(愛称:魔神)は、北海道大学時代は主将も務めた元ラガーマン。
1990年にHTBに入社して5年間は東京支社勤務で、95年4月に本社に戻り、制作部へ配属となります。
そこで初めて担当したのが、前述の『モザイクな夜V3』だった。
つまり、『水曜どうでしょう』開始時点で、彼は制作の経験がわずか1年半しかなかったことになります。
あの独特な声は、ファンもいるらしいです!
嬉野雅道(撮影担当ディレクター)
撮影担当ディレクター(愛称:うれしー)です。
奥さんの仕事の都合で札幌へ来たばかりだった。
知人の紹介でHTBの子会社のHTB映像へ入り、ひょんなことから『モザイクな夜V3』で藤村Dと組んで、そのまま『水曜どうでしょう』をたんとうすることとなります。
実は撮影の経験はなかったが、先方から東京行きの旅費が3人分しか出ないことを知らされ、咄嗟に「カメラができる」と嘘をついて、ロケに同行。だが、本番直前まで密かにビデオカメラの説明書を熟読していた姿を大泉洋に目撃されるという秘話があります。
『水曜どうでしょう』初回時点で、鈴井貴之を除く3人は番組作りの経験がほとんどない、逆にそれが、既存のローカル番組の常識に捉われない、自由で新しい番組スタイルを生んでいくこととなります。
そして、あの名企画を生むことになる――「サイコロの旅」である。
「サイコロの旅」スタート
「サイコロの旅」は、いきなり第1回の放送から始まっています。
番組の前半は、今は亡き東京・六本木プリンスホテルの一室を借りて、アン・ルイスのインタビューを実施して、無事終えた出演者の2人―― 鈴井貴之と大泉洋が同ホテルの外で一息ついている。
ここで、同番組お馴染みの黒バックに縦書き・毛書体の白文字で「本題」とテロップが入る。
まるで、ここまでは前フリと言わんばかりで、アンさんに大変失礼であり、アン所属事務所からクレームが来ていそうだ!
鈴井が「せっかく東京へ来たんだから、何か企画をやって帰りましょう」と発します。
そして彼が取り出したのが、1枚のボードと「明治のサイコロキャラメル」だった。
大泉は企画内容を知らされておらず「?何言っての?」となります。
この後の企画でも、大泉のみ企画を知らされず、毎回ダマされるフォーマットが定番になっていきます。
それが、伝説の「サイコロの旅」のスタートだった。
発案者は鈴井である。
ボードには6通りの移動手段と行先が記されており、サイコロを振って、出た目に従う。
しかし、必ずしも最終目的地の札幌のある北へ向かう経路ばかりでなく、逆方向の西日本へ進むパターンもある。
大泉のモノローグ(心の声)を代弁する強めの藤村Dのナレーションが入る。
そして「♪何が出るかな~」と歌い踊りながら鈴井が出した目が「3」だった。
東京・新宿発の深夜バス「オレンジライナー」で、一行は札幌とは逆方向の四国・松山へ向かうこととなります。
そうして12時間半の深夜バスの苦行が始まります。
途中、何度かサービスエリアで休憩するも、深夜で絵変わりせず、次第に憔悴する2人。
唯一の楽しみだった瀬戸大橋も深夜のため見過ごし、早朝8時に松山に到着する。
道後温泉で、たっぷりかいた寝汗を落とすも、市内観光する間もなく、早くも次の行先を決めるボードが登場する。
「♪何が出るかな~」鈴井の出した目は「6」です。
行先は、九州・大分の臼杵である。札幌から更に西へ遠のいたことになります。
「何してんだよ! 帰りたいんだよ俺は!」あまりの鈴井サンのサイコロの “引き” の弱さに、思わず声を荒げる大泉。
しかし、この瞬間、番組は逆に大ヒットの目を引き当てることとなります。
「帰りたいのに帰れない」「いつ帰れるのか?」という強烈なモチベーション、普通、旅番組は目的地の観光がメインなのに、「移動手段」がメインという転回、そしてローカル番組なのに地元以外が主戦場という逆転の発想。
この第1回放送は、深夜帯では異例の4.4%の高視聴率だったという。
そして、当初はいくつかあった企画が、やがて広義の旅モノに集約されていく。
選択と集中である。
その過程で、大泉洋とカメラの手前の藤村Dの掛け合いトークで番組が進行したり、カメラは車窓を映して音声のみで一行の会話を聴かせたりと、様々な進化を見せる。
そして、数々の “神回” が生まることとなります。
初の出版流通公式本の発売
2002年9月25日、番組は一旦、レギュラー放送を終了しました。
しかし、その評判は口コミで広がり、番組は全国へ販売され、また傑作選のDVDも登場し、その人気は全国区となっていきます。
一方、番組本体は不定期でスペシャル放送を重ね、こちらもレギュラーを上回る評判を獲得しています。
そして今や国民的俳優となった大泉洋は、最新作でもダマされている?
初の出版流通公式本の発売が決定したようです。
超人気番組の10年の軌跡を追った貴重な一冊はファン必見!
2023年11月29日(水)に発売される☟
『『水曜どうでしょう』スペシャルブック 2013-2023 特別編集版』は、
新作「懐かしの西表島」に関する本書独占取材も掲載された番組の10年の軌跡を追ったスペシャル公式本です。
2023年10月4日、最終夜がHTB(北海道テレビ放送株式会社)にて放送されたばかりの最新作が、本書では独占取材記事&写真を掲載! “どうでしょう軍団”(鈴井貴之、大泉洋、藤村忠寿、嬉野雅道)座談会や、「懐かしの西表島」先行上映会ライブ・ビューイング登壇レポも掲載されているらしいです。
今日を明るく元気に行きましょう!
お仕事お疲れ様です。
いってらっしゃい!