こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
珍しく音楽の話!笑
山本潤子
1949年、奈良県吉野郡天川村生まれ、大阪市阿倍野区出身。帝塚山大学卒業。葱の花オフィス所属。
山本が携わったグループの代表曲として
「翼をください」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、歌:赤い鳥)、
「卒業写真」(作詞・作曲:荒井由実、歌:ハイ・ファイ・セット)などがある。
アルファサウンドの決定版はハイ・ファイ・セットであり、特に好きなアルバムは「フィーリング」も収録された「ラブ・コレクション」、山本潤子は偉大な歌手であり心底ほれ込んでいると村井は書いている。
「翼をください」は約30年以上にわたり小学校の音楽の教科書に採用され、その後も合唱曲として有名。
国民的名曲「翼をください」で知られるボーカリストです。
小田和正の人生を変えた「赤い鳥」

1969年、ヤマハのコンテストで、山本は「オフコース」の小田和正を破り、グランプリを獲得。
「赤い鳥」のリードボーカルとしてその名を馳せました。
その敗北が小田和正にとって、音楽の道を諦めずに進む決意を固めさせたとも言われています。
この出来事が、彼の音楽人生を後押しし、彼がやがて「オフコース」として成功を収める原動力となったのです。
松山千春の目標「ハイファイセット」

彼女の歌声が、実は松山千春の運命を大きく変えるきっかけとなったことをご存じでしょうか。
松山千春がデビュー前に、彼の恩人であるSTVラジオディレクターであった武田健二氏に連れられて行った厚生年金会館のコンサートが、
なんと山本潤子が参加していた「ハイファイセット」のコンサートなのです。
その時、武田ディレクターは松山千春に「今度はお前がこの会場を満席にするんだぞ!」と言い、松山もその言葉通り、その後に同じ会場を満席にしました。
しかし、そのわずか3週間後、武田氏は帰らぬ人となり、松山千春はその言葉が最後の言葉だったことを悔やんだと言います。
山本潤子の歌声は、松山千春にとって恩人の思い出を蘇らせる存在でもあります。
山本潤子の今
2015年から活動を休止しているものの、彼女の歌声は今もなお、多くの人々に感動を与え続けています。

唯一無二の歌声
クリアに響き渡る声は、まさに、唯一無二!
山本潤子の歌声が、音楽界に与えた影響とその存在感は、彼女がどれほど偉大な存在だったのかを物語っています。

今日を大切に明るく元気に行きましょう!
お仕事の方、お疲れ様です!
いってらっしゃい!
