こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
「ファッション」の話です。
1980年前後からの時代
「コムサ」を展開するファイブフォックスの上田稔夫(うえだ・としお)代表取締役会長が5月2日に死去しました。81歳だった。
上田氏は三愛、鈴屋を経て、76年にファイブフォックスを創業し、「コムサ・デ・モード」をスタートします。
メンズラインの「コムサ・デ・モード・メン」、ウイメンズブランド「ペイトンプレイス」「バジーレ28」を次々と立ち上げ、DCブランドで一時代を築きました。
一方で、早くも90年代に直営店舗を拡大し、日本ではいち早くSPA化を達成します。
93年には低価格ライン「コムサイズム」をスタートし、全国での多店舗化に成功するなど、一時代を築き上げました。
2023年2月に社長を退任し、代表取締役会長に就いていました。
DCブランドとは
DCブランドとは、1980年代の日本で大流行した個性的なデザインのブランド群のことを指します。
この「DC」とは「デザイナーズ(Designer’s) & キャラクターズ(Character’s)」の略称とされています。
具体的には、デザイナーの名前や作風を前面に押し出した前衛的なブランドが該当します。
シンプルなデザインのブランドとは対照的に、デザイナーの個性を活かした定番を作らない多品種少量生産の服作りを志向したもので、
1970年前後にマンションの一室を借りて始めるような小規模なメーカーから始まりました。
代表的なDCブランドとしては、
コムサ・デ・モード(上田稔夫)
ピンクハウス (金子功)
MILK (大川ひとみ)
ニコル (松田光弘)
コムデギャルソン (川久保玲)
ヨウジヤマモト (山本耀司)
カンサイヤマモト (やまもと寛斎)
イッセイミヤケ (三宅一生)
などが有名かと思います。
1990年代以降
しかし、1990年代以降はバブル崩壊による長期不況とデフレ拡大により、
山口県発祥の「ユニクロ」(柳井正 代表)などに代表されるファストファッションが全国チェーンを急速に拡大しました。
DCブランドブームはバブル崩壊とともに消滅しました。
現在では「DCブランド」という呼称は廃れ、バブル時代を象徴する死語のひとつとなっています。
DCブランドの特徴
以下のような特徴がありました。
- 個性的なデザイン
シンプルなデザインのブランドとは対照的に、デザイナーの名前や作風を前面に押し出した前衛的で独特なブランドが多かった。 - 多品種少量生産
デザイナーの個性を活かした定番を作らない多品種少量生産の服作りを志向していました。
これは、単品大量生産の大手メーカーに対抗する形で、1970年前後にマンションの一室を借りて始めるような小規模なメーカーから始まりました。 - 既製服 (プレタポルテ)系ブランド
買ったらすぐ着られる既製服 (プレタポルテ)系ブランドのことを指し、対局にはオーダーメイド服 (オートクチュール)系ブランドが存在しました。 - 国内のデザイナーズ/キャラクター系ブランド
基本的に海外デザイナーズブランドのことは指さない。 - 首都圏のファッションビルチェーンが牽引
首都圏のファッションビルチェーン、「丸井 (マルイ)」や競合の「西武パルコ」がこのブームを大きく牽引しました。
このような特徴を持つことで、DCブランドは1980年代の日本のファッション業界に大きな影響を与えました。
百貨店から専門店へ
これらのブランドは、それぞれ独自のデザインやビジョンを持ち、日本のファッション業界に大きな影響を与えました。
オッケーは81年に百貨店入社し婦人服を担当していました。
まさに、「DCブランド」台風に遭遇しました!
このタイミングで、「10~20代女性」が百貨店から消えることになりました。
引き留め策は、「DCブランドの百貨店入店」策です。
百貨店人として「三顧の礼」を尽くして、断腸の思いで、プライドを捨てて、
百貨店の顔である1階「グランドフロア」であり、婦人服の一等地を空けることで、
ヤング層の引き留めを必死になってやっていました。
「マルイ・PARCO」のマーケットリサーチによく行きましたねぇ...
苦い思い出のひとつですね...
『百貨店の凋落』の始まりだった!と思います。
今日を大切に明るく元気に行きましょう!
お仕事の方、お疲れ様です。
いってらっしゃい!