こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
早いもので、「アレ」で終わったプロ野球2023年から、
2024年シーズンが、後10日でキャップインですね。
そこで、おもしろいデータを見つけました。
歴代最強監督
アンケート実施
民間調査会社が、全国のプロ野球ファン100名を対象に、
「日本のプロ野球であなたが歴代最強だと思う監督は?」
というアンケートを実施したそうです。
なお歴代勝利数や優勝回数だけでの判断はせず、「最強」という定義から回答者の方に委ねています。
調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2023年11月28日
調査対象:全国の20代~70代
有効回答数:100
監督采配
野球という競技において、「監督」が担う役割は選手と同じくらい重要ですね。
高校野球などは、「監督采配」で決まる要素が高いと言われています。
選手交代のタイミング、局面に応じた采配、さらには選手のモチベーションコントロールまで多岐にわたります。
「監督が代わると、チームが代わる」
こんな言葉もあるほどです。
来季、90周年を迎えるプロ野球界の歴史の中には「名将」と呼ばれる監督も少なくありません。
野球界は日々進化を遂げ、采配にもトレンドがあります。
そういった流れを読み切り、最新の戦術を柔軟に取り入れたり、
自らの「野球観」を信じて独自の采配を行ったり(我が日ハム新庄監督が最たる?)
多くの個性豊かな監督が、プロ野球の世界を作ってきました。
皆さんは「日本プロ野球の歴代最強の監督といえば?」と聞かれたら、
真っ先にどの監督を思い浮かべるでしょうか?
最高の名監督ランキング
ファンが選ぶ「最高の名監督」は誰か?
気になる投票結果をランキング形式でご紹介しますね!
野村克也監督
堂々の1位に輝いたのが野村克也監督。35票と圧倒的な数値でした。
日本プロ野球史上5位となる監督通算1565勝を記録する一方で、1563敗は歴代1位です。
この敗戦数こそが野村監督の真骨頂と言えるかもしれません。
南海ホークスでの選手兼任時代も含めて監督通算24年間、一貫し続けたのが「弱いチームを強くする」という姿勢です。
現役時代は三冠王を獲得するなど稀代の名捕手として活躍しましたが、王貞治選手、長嶋茂雄選手の“ON”を擁する読売ジャイアンツが所属するセ・リーグではなく、当時は不人気であったパ・リーグでプレーをしてました。
自ら「王や長島はひまわり、私は月見草」と語り「強きをくじく」を貫き通しました。
そんな野村監督が「名将」のイメージを決定づけたのは、ヤクルト監督時代の功績だと言われています。
監督就任当時、ヤクルトは球団創設から40年間で一度しか優勝しておらず、前年まで9年連続Bクラスでした。
再建を託された野村監督は、データを駆使した“ID野球”をチームに注入しました。
就任3年目の1992年に球団二度目のリーグ優勝、翌年には球団史上初となるリーグ連覇を成し遂げます。
ヤクルト在任9年間で実に4度もリーグ制覇を達成したほか、古田敦也選手をはじめとした多くの名選手を育て上げました。
また、他球団でくすぶっていたり、成績が低迷していた選手を獲得して復活させたその手腕は“野村再生工場”と呼ばれ、プロ野球界に一台センセーショナルを巻き起こしました。
ヤクルト監督退任後は阪神、楽天の監督を歴任しました。
ともに当時、低迷にあえいだチームの“再建”を託されての就任で、結果として優勝こそなりませんでしたが、野村監督が始動した選手がその後開花し、阪神は退任2年後、楽天は4年後にチームが優勝します。
ちなみにこの二度の優勝はともに星野監督が成し遂げたもので、当時は「野村監督が種をまき、星野監督が開花させた」と称されました。
また、古田選手、高津臣吾選手、真中満選手、矢野燿大選手、石井一久投手といった監督時代の教え子たちがその後、相次いでプロ野球の監督に就任しています。
野村監督自身は残念ながら2020年にこの世を去ってしまいましたが、「野村野球イズム」はその教え子たちによって今なお、日本のプロ野球界に脈々と受け継がれています。
落合博満監督
2位は落合博満(10票)監督でした。
2004年から2011年まで中日ドラゴンズの指揮を執りました。
現役時代は史上最多となる三度の三冠王を獲得するなど、「史上最強の右打者」と称された球史を代表する大打者でした。
独自の調整法や打撃理論は「オレ流」と呼ばれましたが、監督になってもそれは健在でした。
まず、就任直後に表明したのが「補強の凍結」でした。
前年リーグ2位のチームに対して「今の戦力で優勝できる」と断言して、新戦力の補強を行わず、さらには春季キャンプ初日に異例の紅白戦を実施しました。
それまでの常識をことごとく覆しながら、結果として就任1年目に予言通りリーグ制覇を成し遂げると、以降は退任するまでの8年間、リーグ優勝4回、日本一1回を記録します。
一度もBクラスを経験することなく、リーグ連覇を果たした2011年を最後に監督を退任してしまいましたね。
試合中の采配は意外にもスタンダードでした。
野球の基本を重視し、広いナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に特化した守りの野球で黄金時代を築きました。
また、野手出身ということもあり、投手起用は信頼するヘッドコーチ(当時)の森繫和コーチに一任するなど柔軟な体制作りも話題を呼びましたね。
通算在任期間の8年間は監督としては決して長くありませんが、残したインパクトと実績は今も野球ファンの脳裏に焼き付いており、その後も侍ジャパンやライバル・読売ジャイアンツの監督待望論が出るなど、「オレ流采配」は今もなお、多くのファンの指示を集めています。
星野仙一監督
もう1人、2位は星野仙一監督。10票でした。
現役時代は中日ドラゴンズ一筋で14年間プレーし、エースとして通算146勝をマーク。
引退後も中日のコーチ、監督を歴任しましたが、当時は鉄拳制裁もいとわぬ熱血漢ぶりで「闘将」とチーム内外から恐れられていました。
よくドラム缶をけ飛ばすシーンを思い出す方が少なくないと思います。
1987年に40歳の若さで監督に就任すると、就任2年目の1988年にはチームをリーグ優勝へと導き、第二次政権時代も含めた11年間で二度の優勝を経験します。
しかし、星野監督を「名将」へと押し上げたのはその後、指揮を執った阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスでの実績があったとも言われています。
中日監督を辞任した直後の2002年、ライバル阪神の監督に電撃就任します。
当時、長く優勝から遠ざかっていた阪神に「闘志」を注入し、さらには金本知憲選手、伊良部秀輝投手といった大物選手を自ら口説いて獲得します。
就任2年目となった2003年に実に球団18年ぶりとなるリーグ優勝を成し遂げました。
同年限りで監督を辞任すると、2008年北京五輪では日本代表の監督に就任しました。
その後、2011年から楽天の指揮官に就き、今度は就任3年目の2013年に球団創設以来初となるリーグ優勝、日本一を勝ち取ります。
皆さんの記憶に残っているでしょう、日本シリーズ最終戦の9回に前日先発したエース田中将大投手をマウンドに送った采配は、今も野球界の名場面として語り継がれています。
グラウンド上では闘志を前面に押し出す熱血漢でありながら、選手や関係者の奥さんの誕生日には必ず花束をプレゼントするという紳士な一面も持ち、人心掌握術に長けたモチベーターとしても能力を発揮しました。
選手を管理するだけではなく“乗せる”采配は現代のトレンドでもあり、そんなプロ野球界の潮流を作った人物でもあります。
4位以下の監督
4位 川上哲治(8票)
巨人軍の黄金時代を作った人だからです。巨人が強すぎるとまわりから言われても、動じず強さを貫いた素晴らしい人です。(63歳・女性)
非常に手堅い戦術を駆使し、確実に勝利を手にするという、今の日本野球の特徴を形作った指導者だから。(59歳・男性)
5位 原辰徳(6票)
巨人の平成の黄金時代ともいえる時期に、監督やコーチを、やっていたから。WBCで優勝したのも印象的。(31歳・男性)
6位 岡田彰布(5票)
阪神タイガースを2度も優勝に導いた名監督です。作戦や読みが上手い所が素晴らしいです。(29歳・女性)
6位 仰木彬(5票)
イチロー選手の才能を見出すなど育成に長けた人格者であり、さらにリーグ優勝と日本シリーズ優勝という実績も残した稀有な指揮官だから。選手からもファンから愛された有能で人間味あふれる名監督だと思う。(45歳・男性)
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ここで紹介したトップ3以外にも、4位の“V9”川上哲治監督や、巨人史上最多勝監督の原辰徳監督、侍ジャパン指揮官の記憶も新しい栗山英樹監督、さらには王、長嶋のONコンビと言ったそうそうたるメンバーが名を連ねています。
お気に入りの選手の活躍はもちろん、監督の采配にも注目することで、野球観戦はより楽しくなるはずです。
ぜひ、2024年のプロ野球は「監督」にも注目してみてはいかがでしょうか!
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今日を大切に明るく元気に行きましょう!