【石原慎太郎】気骨ある政治家だった

経済情勢・指標

こんにちは! 北の熱い講師 オッケーです!

なんとなくなんですが、好きな政治家でした。
党派を越えた、「政治家たる者」みたいな、信念をもって、
ことに当たる、気骨ある人に、テレビでは観えました。

石原慎太郎、血の気の多いオヤジ

政府は22日の閣議で、1日に89歳で死去した石原慎太郎・元東京都知事を正三位に叙すことを決めました。
石原氏は2015年に旭日大綬章を受章しています。

さる2月1日、作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が、
享年89歳で亡くなりました。
作家、政治家、保守の論客として、昭和・平成・令和を駆け抜けた石原氏でしたね。
実弟が‟石原裕次郎”であることは、皆さんご存じだと思います。
略歴ですが、

1952年 湘南高校卒業後、一橋大学へ入学。
1956年 大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。
1968年 参議院全国区に出馬し史上初の300万票を得てトップ当選。
1972年 参議院議員を辞職。衆議院選挙に旧東京2区から無所属で出馬して当選。
1976年 環境庁長官に就任。
1987年 竹下内閣で運輸大臣に就任。
1995年 議員勤続25年の表彰を受けたその日に辞職を表明する。
同年、芥川賞選考委員となる。
1999年 東京都知事選挙に出馬し初当選を果たす。
2003年 得票率で史上最高の70.21%を獲得し都知事再選する。
2007年 281万票を獲得し都知事三選目を果たす。
2011年 都知事選四選目を果たす。
2012年 都知事を辞職する。
2012年 日本維新の会代表に就任し、衆議院議員とし17年ぶりに国政に復帰する。
2014年 次世代の党最高顧問に就任。
2014年 政治家を引退。

得票数を見る限り、選挙に強い、人気抜群の政治家でしたね。
「人を惹き付ける影響力のある政治家」でしたね。

ちょっと面白い記事を見つけました。
もし、石原氏が首相になっていたら、今の日本は大きく変わっていたと思いますか?との問いに対して、この方が答えています。

亀井静香 元衆議院議員のコメント
あいつが一番いい。これほどアメリカのポチを続けることも、中国に馬鹿にされることも、北朝鮮がどんどんミサイルを飛ばすこともなかっただろう。バイデン大統領や習近平国家主席とも対等に渡り合っていただろうね。ただ政治の世界の利害調整などは、なかなかやれない部分だったろうな。
橋下徹 元大阪府知事 元大阪市長のコメント
年末にお見舞いにお伺いした時に、皇室の話、靖国の話、戦争責任や戦争指導者の問題など、様々。日本という国の自立について次世代に伝えてほしい、頼むぞというメッセージを感じました。

裕次郎の実兄であるということより先に、オッケーが知ったと思うのが、
政治家で‟血の気の多い人がいるもんだな”と思った、「青嵐会」です。
青嵐会(せいらんかい)は、1973年、自由民主党の派閥横断的に結成された衆参両若手議員31名(公称)からなる保守政策集団です。
青嵐は寒冷前線の意味で、会名は「渾沌停滞した政界に爽やかな風を送り込もう」という意味を込めて石原氏が命名したとのこと。
設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」とあり、結成時に石原氏の提案で会員名簿に血判状を捺したことで知られました。
設立メンバーがすごい!武闘派集団の印象です。

衆議院議員
  • 中川一郎(代表世話人、当選4回、水田派)
  • 藤尾正行(代表世話人、当選4回、福田派)
  • 湊徹郎(代表世話人、当選4回、中曽根派)
  • 渡辺美智雄(代表世話人、当選4回、中曽根派)
  • 内海英男(当選3回、船田派)
  • 加藤六月(当選3回、福田派)
  • 中尾栄一(座長、当選3回、中曽根派)
  • 森下元晴(当選3回、中曽根派)
  • 阿部喜元(当選2回、中曽根派)
  • 江藤隆美(当選2回、中曽根派)
  • 國場幸昌(当選2回、福田派)
  • 近藤鉄雄(当選2回、三木派)
  • 中村弘海(当選2回、椎名派)
  • 中山正暉(当選2回、水田派)
  • 浜田幸一(事務局長、当選2回、椎名派)
  • 松永光(当選2回、中曽根派)
  • 森喜朗(当選2回、福田派)
  • 山崎平八郎(当選2回、福田派)
  • 綿貫民輔(当選2回、椎名派)
  • 石原慎太郎(幹事長、当選1回、無派閥)
  • 島田安夫(当選1回、福田派)
  • 中尾宏(当選1回、椎名派)
  • 野田毅(当選1回、中曽根派)
  • 林大幹(当選1回、福田派)
  • 三塚博(当選1回、福田派)
  • 山崎拓(当選1回、中曽根派)

参議院議員

  • 楠正俊(当選2回、無派閥)
  • 佐藤隆(当選2回、福田派)
  • 玉置和郎(代表世話人、当選2回、無派閥)
  • 土屋義彦(当選2回、福田派)
  • 丸茂重貞(当選2回、福田派)

この時代の強者政治家の中でも、特に近寄り難い方々だったのではと想像します。
番記者の方々の中では、殴られ罵倒されの繰り返しだったとか。
ただその後、政治家になった記者が、非常に多いとのこと。

総理大臣

この方が、内閣総理大臣であったら、どうだったろうか!
佐藤栄作内閣総理大臣みたいに、マスコミシャットアウトで記者会見をやったりしたと思います。
国会の予算委員会などは、紛糾だらけだったのではと思います。
ドラマを見てる感満載で、面白かったのではと思う次第。
諸外国に対しての発言も、外交社交辞令でなく、
愛国心強く、歯に衣着せぬもの言いで、
外務省の面々は大変であったろうなと思います。
ただ、単純に一般市民がもっと‟政治”に興味を示した人が増えたのではと感じます。

政治家たる者

2022年度予算案が、22日の衆院本会議で、自民、公明、国民民主各党などの賛成多数で可決され、参院に送付されました。
憲法の規定で参院送付から30日で自然成立するため、21年度内の成立が確定しました。
衆院通過は、1999年の2月19日に次いで2番目に早いことになります。
そのことに対して、是非を言うのではないのですが、
昭和の時代は、予算作成時に、当時大蔵省主計局策定の各省の予算に対して、大蔵大臣に対して、各省の所管大臣が、直談判をする「復活大臣折衝」がありました。(今もあるのだと思いますが、、)
織り込み済みであったと思いますが、それで予算が付く、増えることがありました。(そのことが、政治と金に繋がったとされますが、、)
また、さらには、自民党と社会党時代の国会は、毎回紛糾してましたね。

紛糾すればいいということではありませんが、とくにコロナ禍での予算です。早急に対応しなければならない予算だと思います。
先日、テレビを観ていたら、たまたま、衆議院予算委員会でのこと、
立憲の野田元総理が質問に立ちました。
総理時代に、自民安倍議員の挑発に乗ってしまった方ですね。
自民岸田現総理に、同じ昭和32年生まれ、同期当選組、まだまだ頑張りましょうから始まり、公邸に住むことはいいことです、との発言でした。
なんとも、穏やかなご発言でした。

石原慎太郎氏のご子息が、前衆議院議員選挙で、街頭演説に入る前に、
「何もやっていないじゃないか!」と市民に罵倒されていました。
これのみ、クローズアップするマスコミもいかがと思いますが、
よりによって、落選しました。
さぞ、息子さんは父にお叱りを受けたと思います。

あらためて、石原慎太郎氏のご冥福をお祈り申し上げます。

なんでしょう?気骨ある、面白い政治家が現れないかな!
と思うのは、オッケーだけですかねぇ~笑

札幌でお勤めの方、今日は早めに自宅を出ないと、雪害に遭いますよ!

今日を明るく元気に行きましょう!

いってらっしゃい!