【大谷翔平】暗い過去と【松本剛】いい思い出

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こんにちは!北の熱い講師オッケーです!

「1000億の男」の話です。

大谷翔平、やってます!

9月12日(日本時間)朝、大谷翔平選手が、自己最多47号ホームランを打ちました。

1番打者での先頭弾で、時速190キロの弾丸で「47-48」達成しました。

韓国出身秋信守に並ぶアジア最多218本塁打 前人未踏の偉業にまた前進しました。

「50-50」に届くかも?です!いや、時間の問題かも!

甲子園球児

大谷翔平選手は、花巻東高校2年生の時の2011年に夏の甲子園に初出場します。

必然なのか…

1回戦の帝京戦に右翼で先発出場します。

岩手大会で、肉離れで左足を痛め、1回しか、投手として投げていません。

しかし、負けている状況の4回1アウト一、三塁でマウンドに上がることになります。

甲子園初投球となる、迎える相手打者は、帝京高校の主将です。

松本剛選手登場

なんとその打者こそ、のちに日本ハムファイターズでチームメートとなる、松本剛選手なのです!

大谷投手は、松本選手に右犠飛されて失点することになります。

さらには、同点の7回2アウト一、三塁となり、次打席には松本選手です。

そして、決勝打となる右前打を浴びて7―8で敗れることとなります。

万全の状態ではないものの球速150キロをマークしていたのです。

「縁」だと思う?!

二人の間には、お互いに忘れることの出来ない、「糸」の繋がりがあったわけです。

二人とも、この話をしない、出さないので、

実は、ファイターズファンでも、あまり知られていない実話です!

SNSで出て来ますよ!検索してみては?笑

今日を大切に明るく元気に行きましょう!

お仕事の方、お疲れ様です。

いってらっしゃい!

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