【開戦記念日】トップの判断を歪めるな

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こんにちは 北の熱い講師 オッケーです!

開戦記念日

今日は、80年前に日本がアメリカ・ハワイのパールハーバーに
奇襲攻撃をした日です。

開戦動機

日清戦争、日露戦争の勝利で、日本は中国進出への足がかりを構築していました。
東条英機内閣は、中国で得られる、資源供給を始めとする経済的利益と、ソ連に対する日中の防衛のためという二つの理由を前面に押し出しました。

開戦日時

1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(ハワイ現地時間7日午前7時49分)、日本軍(海軍機動部隊)がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6カ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。
時は遡りますが、この攻撃艦隊の出港した港をご存じですか、
北方領土、択捉島・単冠(ヒトカップ)湾だそうです。
攻撃3週間前の11月22日には、空母「赤城」「加賀」6艘を含む軍艦30艘が湾内に集結していたとのこと。命を受けての出航は11月26日朝とのことです。
戦争のあと傷がいまだに残る地からの戦争突入であったということは、何とも皮肉な話です。

「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信されました。アメリカ海軍戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラ・トラ・トラ」という暗号文が打電されました。

奇襲攻撃

本来は、ワシントンで交渉を担当していた野村・来栖両日本大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから30分後に攻撃を開始することになっていたそうです。
その最後通牒の文書が14部にも上る文書であり、極秘文書のために、従来のタイピストでなく、慣れていない書記官が作成することとなりました。
よって、作成時間が大幅に遅れ、渡すことになったのが、攻撃後1時間経過した事実上奇襲攻撃となってしまったとのこと。

裸の王様

極秘文書の開示が50年後との決まりから、今から30年前頃から、文書開示が進み、徐々に分析が進み出しているようです。
有名な話で、連合艦隊司令長官の山本五十六が、天皇に進言した通り、6カ月は軍事力は持つとの腹案から、短期決戦後の早期和解交渉を目指すとした通り、6カ月間は東南アジアの進行は順調に進みました。
しかし、ミッドウェー海戦の敗戦から戦況が変化しました。
その時期には、職業軍人レベルは、実感として資源量大量保持の米軍と、明らかに資源不足の日本軍とでは、明らかに差があると感じていたとされています。
戦況が見えていなかったのが、天皇であり、東条総理だけとなっていた可能性が高いと謂われています。

いかがでしょうか!

二度とあってはならない戦争です。

現状把握力=リーダーシップ

みなさんの業界・会社企業は、どうですか?
トップに、状況を随時に正確に客観的に報告が入っているようですか?
最終判断はトップ層です。
そのトップに、きちんと報告が上がっていなければ、
自明の理です、正しいジャッジがなされなくなる可能性が高まってしまいます。
結果として、企業の大損失となってしまいます。
そのようなことにならないように、早期に対応を図るべきです。

肝に銘じることです。

今日を明るく元気に行きましょう!

いってらっしゃい!