こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
そうでなければいけません!
田中将大投手、楽天退団
楽天が田中将大投手(36)に対し、野球協約で定められた減額制限(1億円超えは40%)を超える来季年俸を提示したことが11月2日、球界関係者の話で分かっていました。
昨年10月に行った右肘手術の影響もあり、18年目の今季は1登板で初めて未勝利に終わっていました。
推定年俸は、今季2億6000万円だったと言われています。
来季の楽天球団の提示は、1億400万円を超える減額とみられていました(金額はすべて推定)。
今シーズンの戦績
田中投手は、3位争いが佳境に入った9月28日のオリックス戦(楽天モバイル)で今季初登板しました。
5回6安打4失点で黒星を喫しました。
チームのAクラスも遠のき、「ゲームを落としてしまって悔しい」と無念の思いをにじませていました。
21年1月に米大リーグ・ヤンキースから8年ぶりに日本復帰。
球界最高年俸の9億円プラス出来高払いで2年契約を結んだが、復帰1年目は4勝(9敗)。
2年目は9勝(12敗)に終わり、オフに9億円から球団史上最大の減額となる4億7500万円でサインしました。
23年も7勝(11敗)で、2億6000万円での残留となったが、今オフ、3年連続で減額制限を超える提示を受けた模様です。
ヤンキースから楽天復帰以降の4年で20勝33敗。それでも楽天球団は復活を信じ、必要戦力と判断。
これまでの貢献度も加味した上で、再契約を打診する運びとなっていました。
今後、田中投手は制限を超えた減俸を受け入れるか、同意せず自ら自由契約を選び、他球団移籍を目指す道もあると言われていました。
楽天球団、名簿記載しない決断
楽天は11月24日、田中将大投手(36)を11月30日提出予定の契約保留者名簿に記載しないと発表しました。
これを受け、田中投手は自身のYouTubeチャンネルで、
「この度私は楽天イーグルスと来季の契約を結ばずに新たなチームを探すことに決めました」と退団の意向を示しました。
田中投手は「これまでお世話になった球団関係者の皆様、そしてスタッフの皆さん、チームメートのみんな、ありがとうございました。
みんなには改めて直接ごあいさつする機会があると思いますけども、メジャーから仙台に戻って一緒にプレーができて本当にうれしかったです」とファンに感謝を述べました。
石井SDは、
「契約内容なので守秘義務はあるけど、減額制限を超える減俸を提示して選手の同意が得られなかった場合は、保留者名簿に載せられなかった」と説明しました。
厳しい提示にならざるをえなかった理由については「みんなしっかりと成績を出せた人、出せなかった人は判断しないといけない。
減額制限を超えてしまうけど、田中選手はウチにとってすごく必要なプレーヤーで創設以来貢献してきてくれた。
ただ減額制限を超えてしまったので、田中選手の判断を聞きたいと言うことで協議はしてました」
と石井SDのコメント。
さらに、「最後は本人から自由契約にしてほしいということだった」と明かし、「長年貢献してくれたのでそこは尊重して欲しい」と語っています。
田中投手は今季、1軍登板がわずか1試合にとどまり未勝利に終わりました。
日本シリーズが終了する段階で本人に減額制限を超える提示を行い、協議していた模様です。
年俸についての協約
プロ野球選手の年俸については、野球協約第92条によって減額の上限が設定されています。
上限を上回る場合でも選手の同意があれば契約を締結することができる」とあります。
一方で、制限を超える大幅なダウンに納得できない場合、選手が自由契約を選択することが出来ることになっています。
年俸の減額制限額はその年度の年俸が1億円を超えている場合は40パーセントまでで、1億円以下の場合は25パーセントまでとなっています。
田中投手の今季年俸は推定で2億6000万円。
「選手の同意をえられない場合、球団は選手に対して保留権を放棄しないといけないので。そういう流れで田中選手とは自由契約になった」と球団のコメント。
田中将大投手経歴
兵庫県伊丹市出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」で野球を始めています。
4番・捕手として坂本勇人選手(現状巨人)とバッテリーを組んでいたをご存知でしたか?
伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの宝塚ボーイズで硬式野球を始めると強肩を買われて投手も兼任するようになります。
2004年、駒澤大学附属苫小牧高等学校入学します。
1年秋の明治神宮野球大会(35回大会)では背番号2の正捕手であったのです。
1回戦の新田高校戦では捕手、準々決勝の羽黒高校戦では投手で出場しているのです(チームは準々決勝で敗退)。
2005年、2年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会ではチーム最多となる25回2/3を投げ、チームも大会連覇を果たします。
決勝戦で優勝を決めた最後の1球は2年生では史上初の150km/hを計測しています。
大会後、AAAアジア野球選手権大会の日本代表に2年生では堂上直倫と2人だけ選出され優勝。
秋から香田誉士史が監督に就任後初のエース兼主将となり、第36回明治神宮野球大会でも北海道勢として初めて決勝に進出して優勝しています。
第78回選抜高等学校野球大会では優勝候補に挙げられていたが、部員の不祥事により出場辞退となった。
2006年、史上2校目の夏3連覇が懸かった第88回全国高等学校野球選手権大会では大会直前から体調を崩したが、チームは決勝に進出します。
早稲田実業学校高等部との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。
チームは1-1で引き分け、37年ぶりの決勝引き分け再試合となったのです。
再試合でも1回途中から登板し、7回3分の1を投げ3失点に抑えたが、チームは3対4で敗れました。
自身が最後の打者となっています(空振り三振)。
相手、早実の投手は、斎藤佑樹投手(元日ハム投手)だったのは、周知のこと。
甲子園通算成績は春夏12試合の登板で8勝無敗だった。
大会後は日本高校野球選抜としてアメリカ遠征に参加しています。
9月25日の高校生ドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受けました。
抽選の結果は楽天が交渉権を獲得しました。
その後の活躍はご承知だと思います。
星野監督時の、シーズン無傷の24連勝を記録、日本一に貢献。
アメリカ大リーグ、名門ニューヨークヤンキースに在籍していました。
東日本大震災10年を機に、高額年俸を振り蹴って帰国し、楽天でプレーをしていました。
エスコン球場との相性
田中将大投手は、エスコンの相性がいいのです。
パ・リーグ 日本ハム1―3楽天(2023年3月30日エスコンフィールド開場記念・パリーグ開幕戦)
2023年のパ・リーグが、新球場「エスコンフィールド北海道」の初公式戦となった日本ハム・楽天戦で先行開幕しました。
セ、パ両リーグが6球団ずつになった58年以降は初の1試合のみの先行開幕だったのです。
蛇足ですが、オッケーはエスコン開幕スタッフのアドバイザーの一員でした!
歴史的一戦で楽天のオープニングマウンドを託された田中将大投手(34)が5回2/3を1失点の力投。
駒大苫小牧出身で“第2の故郷”でもある北海道で、新球場一番星を挙げたのでした。
日ハムの柱になる存在
田中将大投手は、甲子園野球で優勝旗を、北海道に、津軽海峡を渡って持って来た立役者です!
道産子は、鮮明に記憶している方々が多いと思います。
なので、上述しましたが、エスコン開幕戦を落とす訳にいかなかった日ハムファイターズだったのですが、、、
勝利投手マー君ならしょうがないな〜」と思った方は少なくない筈です。
それだけ、マー君を応援しているファンが、大勢いるのです。
儲かっている日ハム球団は、ここは、敬意を払って、一発2億円以上の提示で、入団を依頼すべきです!
そして、あと3勝で200勝を狙っていただき、達成するシナリオを作るべきと思います。
待ってるよ!マー君‼️
今日を大切に明るく元気に行きましょう!
お仕事の方、お疲れ様です。
いってらっしゃい!