こんにちは!北の熱い講師オッケーです!
与野党第一党の党首が変わりました!
いろいろな角度での戦いが始まります。
久しぶりの、「政策論争」が観れるかも?
【石破茂】自由民主党総裁
「石破茂」氏が、昨日の2024年9月27日に行われた投開票では1回目の投票において通算154票で2位を獲得。
過半数を得た候補が無かったことにより高市早苗氏との決選投票となり、
投票では215票を獲得して高市氏を破り第28代自由民主党総裁に選出されました。
石破氏は、岸田文雄総裁の任期満了及びその不出馬に伴う自由民主党総裁選挙に2024年8月24日、地元の八頭町神社で出馬することを表明しました。
経歴
生年月日は1957年2月4日生まれ、67歳です。
出身校は、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
前職は、三井銀行(現:三井住友銀行)行員です。
1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄氏から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを決断します。
1983年、三井銀行を退職し、田中角栄氏が領袖の木曜クラブ事務局に勤務することになります。
1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選します。
当時29歳で、全国最年少の国会議員であった。
麻生政権時
2008年、麻生内閣で農林水産大臣に任命されます。
当時、農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われて、「ドミノ倒し」とマスコミに叩かれた時代に、
石破氏は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた経緯があります。
しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに「麻生おろし」に加担し、退陣要求を行った経緯があります。
そのことが、今回も、「犬猿の仲」が表面化しました。
今回も、総裁指名登壇の際、岸田総裁が拍手をしていたにもかかわらず、麻生副総裁は、手を動かしませんでしたね。
安倍晋三氏と一騎打ち
2018年8月10日、9月に行われる自民党総裁選挙への出馬を表明。3選を目指した安倍と一騎討ちとなり、地方票では健闘したものの及ばず敗れたのは、記憶にあることと思います。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で12選。
この選挙における立候補者の中で、全国最多の得票率(84.07%)を獲得。これは前回の自身の得票率83.63%を上回るものでした。
【野田佳彦】立憲民主党党代表
9月23日午後1時から東京・港区のホテルで臨時党大会が開かれ、立憲民主党の代表選挙は、1回目の投票で4人の候補者がいずれも過半数のポイントを獲得できず、上位2人による決選投票が行われた結果、野田元総理大臣が枝野前代表を抑えて新代表に選出されました。
代表選挙には、野田元総理大臣、枝野前代表、泉代表、吉田晴美氏の4人が立候補して国会議員と国政選挙の公認候補予定者、地方議員、それに党員・サポーターに割り当てられたあわせて740ポイントを争い、9月7日から選挙戦が展開されました。
22日までに締め切られた地方議員と党員・サポーターによるいわゆる「地方票」の結果が発表されたのに続き、国会議員と公認候補予定者の投票と開票が行われました。
経歴
生年月日は1957年5月20日生まれ、67歳です。
出身校は、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
前職は、なんと!家庭教師で都市ガス点検員です。
1980年(昭和55年)3月、大学卒業。NHKと読売新聞の内定を得ていたが、松下幸之助氏が設立したばかりの「松下政経塾」に第1期生として入塾しています。
政界入り
家庭教師や都市ガスの点検員など、様々な仕事の経験を経て、
1987年(昭和62年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補しています。
選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選しています。千葉県議は2期務めました。
国政へ
1992年(平成4年)に松下政経塾の評議員の1人だった元熊本県知事の細川護煕の下で、小池百合子・前原誠司・山田宏・樽床伸二・中田宏らとともに、日本新党の結党に参加します。
翌1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙に旧千葉1区から立候補して、選挙区内で最も多くの票を得て初当選しています。
民主党代表選出後の2011年(平成23年)8月30日、菅再改造内閣の総辞職を受けて衆参両院で行われた首班指名選挙において、第95代内閣総理大臣に指名された。
9月2日に天皇による親任式を経て正式に就任し、民主党と国民新党の連立による野田内閣が発足しました。
松下政経塾出身の初めての総理大臣となります。
1955年以後で、自民党在籍歴を持たない総理大臣が2代続いた唯一の例となっています。
また、初の昭和30年代生まれの総理大臣で、千葉県出身の初の総理大臣です。
2012年(平成24年)11月14日、国会で行われた党首討論で自由民主党総裁安倍晋三氏に対し、当国会中の議員定数削減法案可決に協力することを確約するなら同月16日に衆議院解散を行うと明言したシーンを記憶している方々が大勢いらっしゃると思います。
この解散表明は岡田克也副総理や藤村修官房長官らごく限られた人数にしか知らされておらず、連立与党の国民新党や解散を求めていた自民・公明両党も予想していなかったと言われています。
政治評論家の筆坂秀世氏は、この討論での野田氏の弁論は安倍氏、国民の生活が第一の小沢一郎代表、公明党の山口那津男代表を圧倒した一方で、安倍氏は動揺し、まともに回答できなかったと評している。
昨年2023年10月25日、衆院本会議の議場で安倍晋三元首相(以下、安倍氏)の追悼演説を行いました。
「後世に語り継がれる名演説」と言われています。
野党第1党党首に首相経験者が就くのは、民主党政権時代の2012年、自民党総裁選で勝利した安倍晋三・元首相以来となる。
同世代として、気概を見せろ!
気付きましたか?
両人共に「1957年生まれ」なのです。
正確に言うと、石破氏は早生まれで、なんとオッケーと同学年です!
野田氏は、一個下になります!
「早慶戦?慶早戦」が始まります。
「田中角栄事務所員vs松下政経塾生」とも言えます。
両氏ともに「論客」です!
選挙時から、オッケーは両氏に党首をしてほしいと願っていました。
「本物政治家」というところを魅せて欲しいと思います。
下手なドラマを観るより、国会中継が面白そうです!
頑張れ!昭和30年代!
まだまだ、現役だ!魅せつけて欲しいと思います。
なんか、パワーをもらったように思うのは、私だけではないと思います!
今日を大切に明るく元気に行きましょう!
お仕事の方、お疲れ様です。
いってらっしゃい!