こんにちは 北の熱い講師 オッケーです!
リビングの室温が下がって来ましたので、
「こたつ」ように、はるちゃんを抱きしめて、
ソファーに横たわっております。
「暖かい~!」
はるちゃんは、本日、
【温水プール】【ジャグジーバス】【トリミング】の予定です!
【絆】を感じる
先日掲載の、選挙時の広告収入?ベスト4に入る、北海道新聞に、面白い記事がありました。
地方紙なので、知らないほうがいいかもしれないお話なので、
「知りたくない!」方は、本日はお休みくださいませ!
3人の生き様
以下、北海道新聞からの抜粋です。
「北の国から」脚本を書いた倉本聰さん(86)へのインタビュー記事です。
では、どうぞ。
富良野市麓郷地区を舞台にしたドラマ「北の国から」の第1話が、1981年10月9日に放送されて40年が過ぎた。
――今でも生きている五郎さんの姿を想像しているのですか。
「『北の国から』は『2002遺言』で終わったけれど、僕と田中邦衛さんは『どっちかが死ぬまでやろうぜ』と話し、五郎さんの死に方がどういうものだったのかを見せようと思っていました」
――五郎さんの最期のストーリーがあるのですか。
「あります。『2002遺言』以降も僕の中では、黒板一家の物語は続いていました。東日本大震災当時、長女の蛍は福島県で看護師をやっていて、消防士の夫は同県富岡町で津波に巻き込まれて死にます。帰宅困難区域だから捜しに行けません。解除になってから五郎が捜しに行くんだけれど、蛍がもうやめてくれと頼むんです」
――その後、蛍と兄の純はどうなるのですか。
「蛍が、福島県いわき市の診療所で働いていた20年のころは、新型コロナが広がって大騒ぎになります。長男の純は、富良野でごみの回収業をしています。21年には蛍も純も仕事が忙しくて五郎と連絡を取らなくなってしまいます。半年ほどして純が麓郷の家を見に行くと、置き手紙があって『山へ帰る。俺を探さないでいい』と書いてあるのです」
――五郎さんはどうしたのですか。
「体が悪いわけです。病院で磁気共鳴画像装置(MRI)を受け、機械に囲まれた空間に耐えられなくて逃げ出します。そこに同じように逃げ出した富良野の熊撃ちの男に出会います。2人で山に入るようになって死ぬときは病院の世話になるのはやめよう、クマの巣穴で死のうと約束します。富良野は氷点下30度近くなることもあるので凍死もありえるでしょう。肉体を獣や微生物に食べてもらい森に返すんです」
へ~~!そうなの!
確かに、『2002遺言』の後の、震災ですものねぇ~
蛍が、そういうことになるんだぁ~
純、富良野に居るんだっけ?彼女?奥さん?いないのかなぁ~
え!!
五郎さん!そういうことになる?!
うん~~~ん。考えさせられるな~!
冷めた言い方になりますが、
「黒板五郎=田中邦衛さん」なわけで、もしドラマ化すると、、
を考えると演じる方がいらっしゃらないわけですよ、、ね。
みなさんは、どう感じます?
感動シーン
さらに、インタビューは続きます。
――9日に富良野市内で開かれた放送開始40周年記念トークショーでは、ファンが選ぶ名シーンが紹介されました。
「1位は(中学卒業後、東京に行く純のために)五郎がトラック運転手に渡したお金に泥が付いていたシーンです。2位は東京に帰る母親の列車を蛍が追いかける場面。3位は(自宅の失火原因を告白する純の器を片づけようとする店員に対し)五郎が怒るラーメン店です。僕が書きたかった社会的テーマとはズレているけれど、それでいい。『北の国から』は一番言いたいところ、つまり苦い薬を糖衣錠にしています。甘い部分のシーンを選んでもらったのは狙い通り。泥の1万円札にどんな価値があるのか、奥の奥を考えていくと苦味が見えてきます」
――苦味は日本社会に効いたと思いますか。
「どうでしょう。分かりません。ただ今でも田中邦衛さんのために富良野まで追悼に来てくれるファンがいます。ドラマが視聴者に強烈な印象を与えたのは確かでしょう。その中には苦味を感じた人もいたのだろうと思っています」
実は、オッケーが、「田中邦衛さん追悼」の記事を書いているのですが、
奇しくも、「土のついた1万円札」のシーンが、1位とは、オッケーも嬉しく感じています。
オッケーが補足すると、みなさん怒るかな?
泥のついた1万円札には、トラック運転手(「古尾谷雅人」さんで、亡くなられた有名な、いい味を醸し出す俳優さんです)の「おまえの父さんは立派な人だ。おまえを上京させるために一日中必死に働いて、そのお金を俺に渡したんだ。手についた泥も洗う暇がないくらい必死に作ったお金であろう。そんな気持ちのこもった札を俺は受け取る気になれない。父さんの気持ちのこもったお札は、お前が大事にとっておけ」と思ったのではないかと思います。
愛想のない運転手(倉本さんのこだわったところのように思いますが)が、少ない言葉で五郎さんの思いを、代わりに、純に伝えています。
あえて泥のついた1万円札が、父、五郎のいろいろな思いを表しているように思います。
さらに、もう二言。
ラーメンシーンを掻い摘んで説明すると… 我家の火事の原因が、純の過失だが、それを正吉のせいにしていた事など、純が自分の卑怯なところに嫌気がさして、親子三人で食堂に入ったところで、父五郎に気持ちを打ち明けるという、大変感動的な名シーンです。
泣きながら必死で打ち明ける純、それを包み込むように受け止める五郎。そこに感じ悪く「もう閉店なんだけど…」とおばさん店員が、純・蛍が食べてる途中のラーメンどんぶりを下げようとしたとたんに、五郎が激高して発した台詞が「まだ子供たちが食べてる途中でしょうが!」と怒るのです。
考えさせられますね
みなさん!読んでしまいましたね!忘れてくださいね!(笑)
ただ、脚本家、倉本聰さんの境地、お判りになりますか?
オッケーは思います。
父と子の【絆】だと。