【追悼演説】あるべき姿だと思います

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こんにちは 北の熱い講師 オッケーです!

国会は「政策論争」場である

久しぶりに、国会中継を見ました!
立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、7月8日の参院選街頭演説中に銃撃を受け死去した安倍晋三元首相への追悼演説を行いました。
野田氏は午後1時すぎからの追悼演説で、傍聴席で安倍氏の遺影写真を胸に抱いて見守る昭恵夫人を見上げて深々と一礼してから、用意した演説文を読み始めました。

演説中に、幾度と、安倍氏が存命であれば座るべき、花束の置かれた席に向かって、話しかけていました。
20分ほどの演説でしたが、国会での演説は「こうであるべきじゃないのかな~」と感じた方もいらっしゃるのではないかと思います。

かませ犬

野田佳彦氏は、17日、安倍晋三元首相の追悼演説を担うのを前にブログで複雑な胸中を明かしていました。自身が政権を失い、長期政権のきっかけとなった経緯に触れ、「安倍氏への追悼演説の人選が迷走し、私の名前が浮かんだり消えたりしてずっと困惑していました。長期政権が誕生するきっかけとなった因縁があるうえに、その最期にも立ち会う運命になるとは……。安倍晋三氏にスポットライトを当てるための政治人生です。『かませ犬』みたいです」とつづりました。
このブログは、永田町に波紋を広げたようです。
それまでの政治的な紆余曲折に、野田氏はあえて「かませ犬」と自嘲したと受け止められたからのようです。
野田氏が首相当時の2012年11月14日に衆院解散を巡って安倍氏とやり合った党首討論を「火花散る真剣勝負だった」と回顧しました。
【国葬儀】本日、安倍晋三元首相
ご承知の通り、12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍晋三氏が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足しました。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では吉田茂氏以来2人目でした。ただし、吉田は初任時は大日本帝国憲法下での任命であるため、日本国憲法下では安倍晋三氏が初となります。追悼演説を巡って野田氏の名前が浮上していた際は「困惑していた」と心境を吐露。ただ最後には、論敵の死に当たっては旅立ちへのエールを送るべきだとの言葉に同感だとし「言葉を練りに練り、仕上げにかかる」とコメントしていました。

追悼演説

安倍氏を「かたきのような政敵」と評しつつ「再びこの議場であなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花を散らすような真剣勝負を戦いたかった」。そして7年8カ月にわたる長期政権を担った当選同期の元首相の死を、こう悼んだ。「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」と。

野田氏は演説後に、『もう1回火花散るような激論をやってみたかったと、失って今さらながら改めて思う存在。単なる論敵ではなく、私は総大将として、率いているいろんな人たちの政治生命も賭けて戦った相手。安倍さんは幹事長のときに選挙で議席を減らしたが、そこから学び、選挙のやり方、凄みはすさまじかった。それに負けっぱなしで、やっぱり借りは返したかった。』とコメント。
また、野田氏は演説で、2回の「密談」に触れました。
12年12月26日、皇居で行われた安倍新首相の親任式での会話。2人きりの控室で、安倍氏から「ねじれ国会でよく頑張り抜きましたね」「自分は5年で返り咲きました。あなたもいずれそういう日がやってきますよ」と声をかけられたという。
もう一つは17年1月20日夜、野田氏は安倍氏と首相公邸でひそかに会い、当時の天皇陛下の生前退位について語り合ったと明かした。「国論を二分しないよう立法府の総意を作るべきだ」と一致し、後の皇室典範特例法制定へと「流れが変わる潮目だった」としました。
さらに野田氏は「長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならないさだめだ」とも発言。「あなたがこの国にのこしたものは何だったのか。あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、言葉の限りを尽くして問い続けたい」と強調しました。

真骨頂

野田氏は結びに、議事堂内の全国会議員に対し、「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっている。暴力にひるまず、街頭に立つ勇気を持ち続けよう。民主主義の基(もとい)である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか」と強い口調で呼び掛けました。
議事堂内に大きな拍手が湧き起こりました。昭恵夫人は演説後、「野田先生にお願いしてよかった。主人も喜んでいるでしょう。原稿を仏壇に供えたい」と感謝の念を伝えたという。こうした一連の反応は、演説巧者で知られる野田氏の「練りに練った言葉」が多くの議員や国民の心に響いたことを立証したように思います。

演説後

野田氏のコメントです。
『終わった後に自民党総裁室に昭恵夫人をお訪ねした。私の今日の役目は演説だけではなく、演説原稿と議場に飾られていた花を夫人にお渡しするところまで。「主人も大変喜んでいると思います。原稿は仏壇に供えさせていただきます」と言っていただき、ようやく肩の荷が下りたようなほっとした気持ちになった。』
と発言しています。
さらに、続いてこうも発言しています。
『当時はねじれ国会。党首討論では戦うことより、どう一致点を見出すかに心を砕いた。平場ではまとまらない議論を、党首同士で一挙に解決しようという思いでいつもやっていた。今はねじれ国会でもなく、与党が強すぎる。一致点を見出そうとする努力をせず、何となく一気呵成に物事を決めてしまう。丁寧さに欠ける。それは与党の責任だが、弱すぎる野党の責任でもある。一強多弱を克服し、もっと緊張感のある関係になれば、一致点を見出す政治が生まれてくる可能性がある。そこまで頑張っていきたい。』とコメント。
25日の衆院本会議での野田氏の追悼演説は「『かませ犬』どころか、満場をうならす主役そのもの」(首相経験者)と発言。野田氏は25日夜の民放テレビ番組に生出演し、「プレッシャーは感じていました」と演説直前の心境を吐露する一方、「議場の反応はとてもうれしかった」と安堵の表情で語りました。
野田氏の演説はNHKや民放各局も抜粋だけで生中継はありませんでした。このため、関心を持つ人々はネット中継で視聴したようです。
SNS上では「ダメだ。涙が流れました」「言葉に魂が入っていた。想いが溢れていた」「すごくすごくよかった。感動した。テレビ中継してほしかった」との感動の書き込みが相次いだようです。さらには、「先にこっちの追悼演説やっとけばここまで国葬の是非が、割れなくて済んだのでは……」との感想が「今回の追悼演説の政治的価値を物語った」(自民長老)との声が少なくないと、永田町情報です。


追悼演説前日の24日夜には、奇しくも、旧統一教会問題で山際大志郎氏が経済再生相を辞任(実態は更迭)しました。これを受け、野田氏の演説後は岸田首相が本会議での謝罪と釈明に追われた。それだけに、「議場を1つにした今回の野田演説が、国難そっちのけで対立と混乱を極める現在の与野党攻防を変える分岐点となれば」(同)とのコメントもあるようです。

タラネバですが、、

安倍晋三氏が、一命を取止めていたとしたら、どのような流れになっていたのでしょうかね、、、
安倍氏自ら旧統一教会について、どう言動・行動をするのでしょうか?
皆さんはどう思います?

今日を明るく元気に行きましょう!

いってらっしゃい!